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長野地方裁判所諏訪支部 昭和33年(わ)58号 判決 1958年7月31日

被告人 大沼満男

主文

被告人を懲役一年二月に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

押収中の現金一六八、二〇〇円(昭和三三年証第二〇号の二乃至五)のうちから、被害者黒岩茂雄に金五〇、〇〇〇円を、同北村弘一に金二、〇〇〇円をそれぞれ還付する。

理由

第一、罪となるべき事実

被告人は、耳が聞えず口もきけない唖者であるが、

一、昭和三三年六月四日頃国鉄中央線小野駅―辰野駅間を進行中の新宿行列車前から二輛目の車中において、黒岩茂雄の上衣内ポケットから、同人所有の現金五〇、〇〇〇円を抜き取つて窃取し、

二、同月一七日頃国鉄篠ノ井線篠ノ井駅附近を進行中の新宿行列車前から四輛目の車中において、北村弘一の上衣内ポケットから、同人所有の現金二、〇〇〇円在中の財布一個を抜き取つて窃取し、

三、同月一九日頃国鉄中央線岡谷駅―下諏訪駅間を進行中の新宿行列車後から四輛目の車中において、井村豊太郎の上衣内ポケットから、同人所有の現金一一、四六四円在中の財布一個を抜き取つて窃取し、

たものである。

第二、証拠の標目(略)

第三、法律の適用

判示被告人の各所為は、いずれも刑法第二三五条に該当するが、被告人は唖者であるから同法第四〇条後段を適用してそれぞれその刑を減軽し、以上の罪は、同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条第一〇条により犯情最も重いと認める判示一の罪の刑に併合罪の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役一年二月に処し、諸般の情状をみると、刑の執行を猶予するのを相当と認めるから、同法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとする。押収中の現金一六八、二〇〇円(昭和三三年証第二〇号の二乃至五)の中には、判示一及び二の被害現金が入つていることは取調べた証拠によつて明らかであるが、そのうちの如何なる通貨がどの犯罪行為による賍物であるというふうに、通貨を犯罪と結びつけて特定することはできないけれども、通貨は高度の代替性を有するものであり、右の如く限定された押収金の中に賍物たる現金が入つていることが明白である場合には、そのひとつひとつの通貨を指定することができなくても被害者に還付すべき理由が明らかであるといい得るから、刑事訴訟法第三四七条第一項により前記押収中の現金の中から、判示一の被害者黒岩茂雄に金五〇、〇〇〇円を、判示二の被害者北村弘一に金二、〇〇〇円をそれぞれ還付することとし、訴訟費用は、被告人が貧困でこれを納付することができないものと明らかに認められるので、刑事訴訟法第一八一条第一項但書によつて被告人にはこれを負担させないこととする。

第四、押収物の処理について

本件においては、押収物の還付について疑問の点があるから、特にこの点について説示をしておくこととする。押収中の現金一六八、二〇〇円(昭和三三年証第二〇号の二乃至五)から前記被害者に還付すべき金額を除いたその余の金一一六、二〇〇円及び同じく押収中の茶革財布(同証号の七)と全国鉄道線路図(同証号の八)について、被告人は、右押収物はいずれも被告人が氏名不詳の者から窃取したものであるからその被害者(所有者以下同じ。)に返してくれ、と申し出ている。しかし、右押収物は本件公訴にかかる犯罪の被害品ではないから被害者還付の言渡もできず(裁判所が犯罪事実の認定をすることができないので被害者還付の言渡もできない。)また没収の要件も充さない。従つて、本判決主文においては何らの言渡もしなかつたのである。すると、これをこのまま手続の推移にまかせるときは刑事訴訟法第三四六条により押収を解く言渡があつたものとされ、裁判確定後の事務を処理する者は押収物を被押収者である被告人に還付する手続をするかもしれない。しかしながら、盗品で被害者に押収物返還請求権があり、また被押収者たる被告人が被害者に返してくれと申し出ている押収物を、被告人に還付することは正義に反し、条理にもとり、法の精神に合致しないといわなければならない。であるから、同条は被押収者に押収物返還請求権があり、裁判所(裁判執行機関である検察庁も含む。以下同じ。)に押収物を被押収者に還付する義務がある通常の場合を規定したものと解すべきであり、本件の如く被押収者と被害者は別人で、被害者に押収物返還請求権が帰属し、被押収者もそれを認めて押収物を被害者に返してくれと申し出ており、裁判所は被押収者以外の被害者に還付する義務があるといい得る場合には同条の適用はないと解すべきである。従つて、本件押収は本裁判確定後も押収物を被害者に還付する目的のために継続して効力を有し、裁判所は押収物を被害者に還付するため手段を尽すべきであるけれども、被害者の所在不明その他の理由によつて結局押収物の還付ができないときは、同法第四九九条によつて処理されることとなるのである。

右の理論は、本件の如き場合には同法第三四六条の適用はないと解した場合であるが、右の見解と異り同条は本件の如き場合にも適用があるという見方もあろう。しかし、その見方に立つ場合においても裁判確定の後押収物を被告人に還付することを是認することはできないであろう。それではその見解に従つた場合押収物はどうなるであろうか。その場合には同条が適用になるのであるから本件の押収は解かれることになるが、被押収者は被害者に押収物を返してくれと申し出ているから、裁判所と被押収者との間においては押収物に関し何らの権利義務も残らないことになるが、裁判所と被害者との間においては一般法規により事務管理者と本人との関係が生じ、管理者である裁判所は本人である被害者が押収物の管理をなし得るまでその管理を継続すべきである(民法第七〇〇条参照)。そして、その場合も裁判所は被害者に還付するため手段を尽すべきであり、被害者の所在不明その他の理由により押収物を還付することができないときは、同法第四九九条を準用して押収物の処理をすることになるべきであるであるから、本件の場合同法第三四六条が適用にならないと解しても、或は適用になると解しても裁判所に押収物管理の権利義務があり且つ裁判所は被害者に還付する手段を尽すべきであること、被害者が所在不明その他の理由により押収物を還付することができないときは、同法第四九九条に従つて押収物の処理をなすべきである点においては二者同様である。

第五、結論

以上の説明により、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中加藤男)

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